言うことを聞かないと、どうしても叩いてしまいます。
今の子育てで難しいのは、どうしても母親と子どもだけの閉じた関係が生じやすいことですね
昔だったら家には夫だけじゃなくて、おじいちゃんがいたり、おばあちゃんがいたり、近所の人が来たりしていた。
だから、母親が腹を立てたり、怒ったりしても、もう少し広い世界で発散されていたわけです。
ところが、今は子どもと母親だけの関係になっているでしょう。
腹が立っても子どもにしか怒れない。しかも、相手が小さいから、怒りやすいわけです。
近所の人に怒りをぶつけようと思ったら、ちょっと遠慮しながらやるから、だいたいおさまっていくんだけれど、子どもと親の閉じた世界だと、それが怒りにしても憎しみにしても、増幅されていくわけです。
それにどこか親子だからという安易さがある。
家の構造も、昔は縁側があって障子があって、というオープンな造りだったから、近所とつきあわざるを得ない格好だったけれど、今の集合住宅は、ドア一枚でよそと区切られるから、ますます親子ふたりだけの世界に入ってしまって、外からはちょっと見えないし、入れない。
欧米の人たちは、長年の経験の中で、閉じてしまうとよくないと分かっているから、家族というものを何とか外へ開こうとしている。
パーティーを開いてみたり、教会に行ってみんなと話したり、家族関係以外のものに開こうとしているわけです。
日本は戦後、都市化が急に進んで、大家族も共同体もなくなって、核家族になったので、その分開かれることが必要だったんだけれど、広がるどころか、逆に家族だけで閉じてしまっているんです。
昔からの日本的つきあいというのは、その場に集まってきた者は、運命みたいなもので、「みんな一緒」につきあわなきゃいけないんです。
みんな一緒におしゃべりしなくちゃいけない。みんな一緒というのが、「身内」なんです。「みんな一緒」に入ってるかいないかで「身内」か「身内でない」かが区別される。
その区別だけやってきたわけで、それを支えているのが「世間」というものだったんです。
日本的つきあいは、始めたら切れないんです。欧米流のつきあいは、個人と個人だから、アメリカ人が一番典型的なんだけど、誰とでも平気ですぐ話をするでしょう。その代わりいつでも切れる。
次に会ったときに変なことを頼まれたら「ノー」と切ったってかまわない。
日本ではうっかり口をきいて関係ができると、あとから借金を頼みに来られても「いや、まぁ・・・」とか、断るのがすごく難しくなる。だから、初めからなるべくつきあわないでおこうという気になるんです。
いま、ひとづきあいの仕方も変わりつつある。日本的パターンは嫌だけど、欧米的パターンは身に付いていない。だからみんな分からないままに、結局人となるべく付き合わないようににしいる。
「昔は近所づきあいがあってよかった」というけれど、どれだけうるさかったことか。
だから今のお母さんはかわいそうですよ、ものすごく孤立してるわけです。
「好きなことはしたいけれど、やっぱり誰かとつながっていたい」ということでしょう。自分で孤立を招いているとも言えるわけですが。
母子関係だけの世界をどのように開いていったらいいのか。これはなかなか深刻な問題だと思います。
日本人は、これからどうやって人とつきあっていくか、みんなで練習していかなきゃいけないですね。